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| 1970年2月 | 長崎市に生まれる。 |
| 1983年 | 中学にてブラスバンド部に入りトランペットをはじめる。 |
| . | 高校でバンドを結成し人気を高める。 |
| 1990年 | 専門学校を中退、ドラマーを目指し、東京に出てバンド活動を行うが解散。一人残り曲作りとバイトに明け暮れる。 |
| 1994年 | 22才から作曲をはじめたことがきっかけとなり歌うようになる。 |
| 1994年 2月 5月 8月 |
新宿ルミネホールでの初イベントライブ 各メーカーから引き合いになるがビクターエンティメントと契約。 24時間テレビ長崎・熊本チャリティーライブ 斉藤和義他多数のアーティストとともに出演 |
| 1995年 4月 5月 7月 8月 10月 |
シングル『夢の吹く丘』でビクターエンターテインメントからデビュー 1stアルバム『緑の風の中で君を抱いて眠る』リリース 3大都市ライブツアー東京・大阪・福岡でライブ 24時間テレビ長崎チャリティーライブ soonと出演 戦後50周年ピースコンサート、ワールドピースフェスタにオルケスタデラルス、ディアマンテス、横道坊主とともに参加 |
| 1996年 1月 4月 5月 7月 10月 12月 |
2ndシングル『太陽少年』リリース シャープmdのcmソングetc 3rdシングル『shock wave』リリース panasonic shockwaveのcmソングに抜擢 渋谷on air westにてinfix、birthdaysuitとともにイベントライブに出演 長崎を歌った歌リボンを含む2ndアルバム 『2150revolution』リリース 日比谷野外音楽堂で東野純直、藤重政孝、法城慎一郎ととも にイベント pop cross96に出演 日本放送内銀河スタジオでマンスリーライブを始める ピースビートクラブを槙 健一が発起人として長崎で開催 横道坊主、法城慎一郎、鈴木彩子らが参加 |
| 1997年 4月 11月 12月 |
ピースビートクラブ以外のプロ活動を一旦休止 長崎のローカル番組「upるトゥデイ」の企画でエンディング曲『birthday』の作詞作曲を手掛け、番組のキャスター市原隆靖とユニットで歌い更にcd化 長崎限定発売で2000枚の売上 槙 健一のプロジェクトバンドreal emotion driveの1stアルバム『red』をインディーズリリース ピースビートクラブ97を開催 横道坊主、the zip gunz、shiba、sweets、leyra、wind lip らが参加 |
| 1998年 4月 10月 |
FM長崎「fm bang pop」のパーソナリティー開始 アトミックスエンターテインメントから市原隆靖との ユニット第二弾シングル 『yell/sora』をリリースsoraは長崎のローカル番組「upるトゥディ」のエンディング曲、yellは成和建設cmソングとなっており、長崎だけで約2500枚の売上 ピースビートクラブ98を開催 横道坊主、シーナ&ロケッツ、shiba、dealらが参加 |
| 1999年 1月 4月 6月 11月 12月 |
fm長崎「fm r-1」を 横道坊主の中村義人とパーソナリティーを開始 4月 アトミックスエンターテインメントから市原隆靖とのユニット第三弾シングル 『rock candy』をリリース rock candyは1999年九十九島のcmソング(福岡・長崎)、そして長崎のローカル番組「upるトゥディ」のエンディング曲 c/w『banana moon』は長崎のローカル番組「音キューブ」の エンディング曲となっており、この曲は市原隆靖が一人で歌っている 長崎外国語短期大学のcmソング『voice』の作詞作曲を担当 長崎外国語短期大学のcmソング『voice』のcd発売 ピースビートクラブ99開催 |
| 1999年 1月 4月 6月 11月 12月 |
fm長崎「fm r-1」を 横道坊主の中村義人とパーソナリティーを開始 4月 アトミックスエンターテインメントから市原隆靖とのユニット第三弾シングル 『rock candy』をリリース rock candyは1999年九十九島のcmソング(福岡・長崎)、そして長崎のローカル番組「upるトゥディ」のエンディング曲 c/w『banana moon』は長崎のローカル番組「音キューブ」の エンディング曲となっており、この曲は市原隆靖が一人で歌っている 長崎外国語短期大学のcmソング『voice』の作詞作曲を担当 長崎外国語短期大学のcmソング『voice』のcd発売 ピースビートクラブ99開催 (資料提供 : アトミックスエンターテイント) |
| 「リボン」を聴くとき、私の中で澄みきった青空がどんどん広がっていきます。地球を全部おおっていくように。
清浄な青い空間に立たされて、風にさらさら吹かれて、私の心も澄んでいくのを感じます。
聴くといつも涙が流れます。そしてなんだか希望と力が湧いてきます。 家族3人で何回も何回も続けて聴きました。 すばらしい歌をありがとうございます。! (^o^)/ コタママ(コタパパの奥さんです) ------------------------------------------------- リボンという曲は、自分にとってもすごく大切な曲です。 そこで秘話を一つお教えしましょう。 毎年稲佐山で行われているさだまさしさんの平和のコンサートを偶然TVで見ました。(1995年夏の事です) そのトークの中の一つに、こうゆう話がありました。 「原爆が落ちた瞬間、目がつぶれるような光と、爆風がみんなを襲った。そしてみんな地面に倒れ、その後の静けさの中、蝉の声だけが響きわたっていた。蝉は強く強くみんなを励ますように一所懸命泣いていた」 たぶんこういう話だったと思います。 その時ちょうどリボンを作っているときで、自分はすごくその話に感動しました。そこて゛思ったのが、原爆が落ちた時、その熱風にも負けず、ひまわりも何処かで強く咲いていたんではないだろうか・・・ もうお分かりでしょうが、リボンは、2番からできたんです。 これからもリボンという歌を大事にしていきます。 ピースビートクラブ、是非、見にきて下さい。 それではまた・・・ [ From MAKI ] |
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僕はコタパパ、このホームページの生みの親で、槇健一さんの一ファンなんです。槇健一というすばらしいアーティストをもっと沢山の人に知ってほしい、「リボン」という名曲をもっと沢山の人に聞いてほしいという願いで作りました。 今日も家族3人で何度も何度も続けて聞いています。なんか力が湧いてくるんです。勇気も希望も・・・・ 上に書いているのは、コタパパの奥さんのコタママが槇さんの掲示板に書込みして、それに対しての槇さんからのレスなんです。すばらしい話なのでここにも書かせてもらいます。 つくったばかりのHPで、このHPの内容は間違いが多いかもしれません。そのときはご一報ください。 槇ファンの方、お友達の方、ご近所の方、「槇くん情報」があったら何でもいいですから教えてくださいね。 |
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