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そんなある日、彼から電話があった。会いたいと言う。彼の家に迎えに行き近くの居酒屋に入った。いつもの彼とは様子が違う。何も話さずゆっくりと時間だけが流れた。しばらくして静かに彼が話し始めた。「今回発見された病気は今の医学では決定的な治療法が見つかっていない病気で、新たに画期的な治療法が見つからなければ、あと15年の命だと医者から宣告された。」と言う。今まで見たこともない彼の沈んだ表情にどんな言葉をかけてやればいいのか分からなかった。

それまで自分の頭の中から必死で遠ざけようとしていた“死”という文字を目の前に突きつけられ、彼は戸惑っていった。だがその事実を受け入れ乗り越えない限り次のスタートはきれない。その事は彼が一番分かっている。時間が静かに流れた。
ふと彼が「でも考えてみたら15年って結構長いですよね。」
と穏やかに微笑みながら言った。自分に残された15年という時間をどう使うのか、彼は考え始めていたのだろう。病院のベットに寝たきりの15年なのか。それとも命を削ってでも自分の夢を追い続けるのか。その日は2人で色んな話をしながらずいぶん遅くまで飲んだ。

今思えばあんなにゆっくり2人だけで話をしたのはこの日が最後だった。数ヶ月後、長崎に戻つた彼は自宅に小さなスタジオを作った。これで体調の悪い時でもアイディアが浮かんだらすぐに録音できる。すでに歌う事が極めて困難な状態まで病気は進行していたのだが、曲を作り続ける事を決して諦めなかつた。そして「Motion」という名前の事務所を立ち上げ自分の夢を若い才能に託すべくまた新たなチャレンジに取りかかった。自ら開拓した「長崎を拠点にアーティストとして活動する方法」を生かし楽曲を提供し自らのプロデュースで2組のアーティストを育てた。今年、ようやくインディーズレーベルからデビューにこぎつけ、よしこれから!!という時だった…

2002年9月1日
32年の生涯をカ一杯、駆け抜けた男はどこまでも青く広がる秋晴れの日、大空へと昇っていった。

俺は「槙健一」という男から沢山の事を教えてもらった。仲間を想う気持ち、常にポジティブな姿勢、命の大切さ、平和への願い、そして何があっても決して諦めない心の強さ。この10年間、何度も何度も病気に行く手を阻まれ、その度に彼は悩み、苦しみ、そして何度も何度も立ち上がった。その勇気に満ちた生き様を俺はいつまでも忘れない。心から平和を願い、最後まで生きる事を諦めず夢を追い続けた。そんな彼が残してくれた沢山の素晴らしい曲を、これから機会があればどんどん歌っていきたいと思っている。語り継ぐ事で、歌い続ける事で、彼の魂はいつまでの俺の中で生き続ける!!俺はそう信じている。

来年、9月に彼の意志を引き継ぎ「ピースピートクラブ」の開催が決定しました。詳しい事が決まり次第、皆さんにお知らせします。
中村義人


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中村義人(横道坊主)槙健一への想い